先日、原発事故のため埼玉県に避難しているお客様の不動産を売買しました。謄本を確認すれば、まさに福島県双葉郡です。家族が福島県と埼玉県に分かれて4年暮らしてきたとのこと。
たまたま、さいたま市内にあった親族の不動産を売却することになったのでした。
無事契約が済み、改めて福島の現状を聞くにつれ、いつの間にか薄れかけていたあの頃の記憶が鮮明に思い出されました。遠い出来事をテレビで見るだけでしたが。
「50年積み上げてきた人生を、原発事故で全てをなくしてしまいました。どんなに住みやすい街に移っても、幼いころから親しんだふるさとが一番です。本当に帰りたい。でも帰れない街になってしまい、時々一時帰宅する程度。最初のころは真っ白な防護服を着ました。今は線量計を首から下げて帰っても、すぐにぴぴっと反応されれば、住むことはできません。私の家はそっくりあるのに。」
淡々と話す当事者の言葉の重みに、返す言葉を選ばざる得ませんでした。今再稼働を唱えている人々に対しての鋭い批判もされました。
改めて自分一個人として何も行動はできないけれど、フクシマを忘れない その言葉をしっかりと胸にきざみ、お客様を送り出しました。
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