一足お先のお墓参りをし、ついでに九十九里で泳いできた。
年に一度は 海水で泳ぐことを決めている。
慣れ親しんだ海水浴場なのだが、さすがに、この歳になると、同級生らしきおばさんは泳いでいない。気分いいのに・・・と 海の上で、青空を仰いでた。

今日は「長崎原爆投下の日」

その頃、この九十九里浜でも、竹やり訓練が行われ、戦闘機は東京へと毎日向かっていったという。落とし忘れた焼夷弾を、帰り際に、近くの教会に一つ、ぽんと落としていったこともあったという。
父は「鬼畜米英」機を落とさんと、ロケット爆弾まがいのものを製造しているところを「特高」につかまり市谷へ。若き母は 風呂敷包みを抱えて面会に通ったとのこと。初めて聞いたのは、父が亡くなり、戦後50年以上も過ぎていた頃。そういって恥らう母がいたっけ。今は 同じ場所に眠る。
もっと多くのことを聞いてあげるべきだった、おくべきだったと悔やまれる。

戦後60年 メディアは、様々な特集をくんでいる。
NHK長崎の「赤い背中」の少年の背負ってきた60年をみた。
事実から目をそらさない、明日に繋げる真摯な態度で、
情報を享受したいと思う。

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