震災の津波で首都圏で13名の犠牲者を出した
九十九里沿岸の旭市、懐かしい文字を新聞で見つけました。

東京新聞
のんびりとした鄙びた漁村の街飯岡地区。
中学校は違いましたが、ソフトボールの試合にいったり、友人達と遊んだ校舎でした。

周辺の海岸沿いの釣り宿が、基礎だけ残して消えていたことや、
原発の影響で野菜が出荷できなかったことを思い出しました。
津波動画1 
学校や保育所を内陸に移転するとのこと。
校舎が避難所になると安心です。
仮設住宅での生活が、まだ続いているとのこと。

3.11震災被災地の復興はまだまだ続きます。

今では、お盆やお彼岸くらいしか帰省しなくなったふるさとへ
少しは頻繁に出かけてみようと思います。

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