やっぱり一言女性としていわねばなるまい。
「女性は子どもを産む機械」発言。

言葉は、必ずある文脈の中で発せられるが、
女性の出産に機械という言葉が浮かんだことは、
いつも思っていた本音なのだろう。
想定外の言葉がそう口から出るものではない。

女性に対する蔑視と人格の否定の最低な言葉であることはいうまでもない。
そこらの、親父がくだを巻いているのとは訳が違うのだ。

大方の女性は、そのような御仁には、今更人権について説教しても始まらないし、
女がいなければ、子どもはおろか、生きて活けんのと
目で笑ってさげすんで終わりだ。

なにもあんなにヒステリックに騒がなくてもいいではないか・
と冷ややかに思っている特に男性の方々、
一度、奥方に向かって、恋人に向かって、
「君は子どもを産む機械」だったね。何だよ、と話してみるとよい。

冗談と笑い飛ばしてくれるだろうと確信するのは甘いかもしれない。
終の住処を探した方がいいかも。

だが、議員となれば、ばかだね~しょうがないね~と
笑って済ますわけにはいかない。

ましてや、厚生労働大臣である。その元で、少子高齢化対策だって?
その国会を我々が選んだのだ。日本の文化レベルはこんなものか。
2重の意味で、恥ずかしい。

産めよ殖やせよは、つい60年前の話。何のために。

つい先週、若いお客様から、赤ちゃんが生まれましたと連絡が入った。
その中には、少子化打開という言葉も、機械などという言葉も入り込む余地はない。
「武士の一分」の夫婦にも、愛以外なにもない。

さて、このままだと、本人はもちろん、守ろうとするする方々の
「議員の一分」は、どこにあるのだろう。

対する方々には、我々の代表として、その一分を大いに晴らしてもらいたい。
ただし、収め時を間違えないように。課題は山積している。


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