10月27日午後
宅建さいたま浦和支部の女性部会主催で
「浦和の歴史を歩くPart2~見沼通船堀・見沼田んぼを行く
野外セミナーが開催されました。

昨年10月に発足した「女性部会
3月3日のひなまつり野外セミナーで
浦和の歴史を歩くPart1~浦和宿」に続く
浦和をもっと知ろうという企画。

さわやかな秋空の元、
総勢23名の不動産女性経営者や関係者がバスと徒歩で移動。

講師は「見沼と竜神ものがたり」や「招きうさぎ」の
原画作者であり作詞作曲も手掛ける
郷土史研究家のさくら草五郎氏

①東浦和の鈴木家訪問
平日特別に平田舟見学させもらった。

②裏手の見沼通船堀
こう門式で船の往来の仕組みを学び、
中禅寺湖に匹敵するほどの見沼の沼を
6か月で干拓し水田にした伊沢為永の偉大さと
徳川吉宗の時代のすごさを知る

③大牧の清泰寺で見性院の墓を見学
徳川秀忠の4男の側室の子幸松丸を守り育てた
武田信玄の息女の墓がある。
のちに会津藩主の保科正之となり会津松平家の祖になった。

今でも5月の母の日には「おらが殿様を養育してくれた」と
20数人お墓参りに来ているそうだ。

氷川女体神社
武蔵国一宮で見沼の守神のことや
大岡越前守が修復したり、
関ヶ原の合戦に神主武笠武豊が応援、
それで東軍が勝ったことで勝負の神社となっていること

近くのかかし像は「山田の中の一本足のかかし~」は
見沼田んぼを歌ったこと。この近くは武笠姓が多い。

~~~~~途中 見沼有料道路を徐行して通過!
ここ一面が水面だったことを想像し、船で岩槻まで行き来したこと
そこを6カ月で水田にした偉業を想像するようにと講師から~~~
すごいね~。今は家庭菜園や野菜などの畑作農業が広がります~~

国昌寺では竜伝説や
山門の菊の御紋は桃山時代に朝廷に書を指導していた由来。
その上には左甚五郎の竜の彫物。

万年寺
見沼の干拓を指揮した伊沢為永らの詰め所
干拓を拒む竜神と問答をし見沼を明け渡した場所とされる。

大門宿本陣表門
現12代当主会田真言氏 本人の直々の話を聞く
将軍の日光東照宮社参りの「御成街道」の本陣であり
大阪落城時のころからの歴史を持つ家柄。紀州鷹場の鳥見役もしていた。

現当主は子供のころ、広大な本陣屋敷の中で育っている。
本陣屋敷は昭和33年に焼失。表門だけが残ったが
県の指定文化財となっており、寄棟造りの茅葺長屋門で
修復だけでも800万。県・市の補助はあっても日々の手入れ
庭の保護など出費は相当になるという。

普段は開けない門を夕暮れ時にもかかわらず
中に入れてくださり、丁寧な説明と見送りをしてくださいました。

周囲はとっぷりと暮れてしまいましたが
ぎっしり詰まった地元の歴史を胸に
参加者はバスを降りました。

アンケートの多くの感想では
生まれ育った地元歴史の素晴らしさや誇り
そこで不動産の仕事をしている
喜びなどが記されていました。

本当にすばらしい講師の説明と野外セミナーとなりました。
スタッフの皆さまお疲れ様でした。

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