3.11から4年半経った福島の現状をこの目で確かめたいと、友人と参加してきました。

世界で3番目の過酷事故、福島県復興計画が「人類がこれまで経験したことのない未曾有の災害」とした原発事故。

常磐自動車道から国道6号線を通って、広野町、Jビレッジ、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町と、報道でしか知らなかった街を通過。

バスの中で線量計がピーピーと鳴り、針が振り切れた場所もありました。帰還困難区域~バスから降りないで、停車禁止の場所。

時間が止まった「原子力明るい未来のエネルギー」を掲げた双葉街商店街入り口。バスの中で皆、無言。

津波、地震で倒壊したままの家屋、誰もいない死んだ街並み・・かつてはたくさんの人々が行き交っていたであろうに・・

毎日、帰還困難区域で警備する作業員の被ばくはどうなっているのだろうか?

除染が済んだ畑には、1年目セイタカアワダチソウが生え、次は低木が生えはじめていました。あと数年で森や林に帰っていくのでしょうか。

そして黒いプレコンバックの壁、すでに4年の月日で劣化しているという。シートで更に覆ってあったが、夏はどうなのか。

除染ではなく移設だったか。そのモニタリングポストは離れた場所にあり、あの物体の本当の線量はどのくらいなのであろう。

30年保管の中間貯蔵施設予定地は、土地の所有者がわからない面積がが8割近くとのこと。

亡くなったり不明の人相続はどうなっているのだろう。少ない知識が疑問だらけになって、ぐるぐる回る。

街が消えた、駅が消えた↓、家族の離散、故郷の崩壊、病院が消えた、健康被害・・・数えたらきりがない。

いわき市民のバスの中での説明、楢葉町の宝鏡寺での説明。住職は40年前から原発反対を訴えていたという。

福島の電気はすべて首都圏に送られていた。再稼働・海外輸出の話が信じられない。

 

4月に取引をした富岡町出身の方の言葉が再び浮かぶ「50年の自分の人生がすっかりなくなった。」

日帰りバスなので夜8時頃、重い気持ちを引きづりながら浦和に帰ってきました。

当日参加者の被ばく量は、2.1マイクロシーベルトと報告がありました。皆熟年でしたが。

浦和の平均は、0.04位です。